
小川マリアイネス、ガカワイフとは19歳で京都のえかき小川憲一豊実と結婚したアルゼンチン生まれ、育ちの日系二世です
1955年に鹿児島からアルゼンチンへ移住した松ノ下實と尾竹麗子の長女として1956年8月15日にミシオネス州,オベラ、ジャングルの中で誕生した
次男に進められ坂根涼介のワイルドソウルを興味深く読みました
この小説のように苦労はしてないが、両親も特に母は日本へ戻りたいと考えたことはあるのでは?
えかきのつまが幼い頃にミシンの前でしくしく泣いていた母を見て今思う
慣れない土地で初めに日本から連れて行った長男を事故死させた
えかきのつまが生まれて3か月後の事故、父は性格が変わったように見えたと母が言ってた
えかきのつまは先に母を亡くして父は母の13回忌を終えてあの世へ
両親を亡くして見えてくるものは多々ある、自分が歳を召して感じることもその時どきで違う
子ども時期を過ぎて経済的に豊かではなかったけれど日々を元気に生き、支所、銀行とそしてブエノスアイレスの丸紅株式会社に勤めながら夜間の短期大学へ行ってた
縁あって1974年にあるホテルのクリスマスパ-ティでバッタリ現在のえかき小川憲一豊実(おがわけんいちほうじつ)と会い、約1年後に結婚した
保母さんになる夢を諦めてえかきの世界へどっぷりつかってしまった。絵描きたちの妻と言う小説を読んだことがありますが大昔のことでハッキリ覚えてない
住み慣れたアルゼンチンから1980年日本へ初上陸は成田空港そして10年間住んだ京都市、そして多分最後の場所となる福山市は30年以上
人生の半分以上どころか計算すると日本での生活のほうが断然長くなっているのには驚きです
京都市生まれ、育ちの絵かきと、アルゼンチン生まれ、育ちの日系二世は考え方も違う。
無口だった私を気に入った旦那は今では私が話し出すと呆れ顔で見ます。
長い間人生を共にしてきた私達は、変わって行くのは当然だと思っている。旦那様次第で妻は変化し、そしてお互い様、夫も変わる。
ちょっと子供や友達に愚痴ると、あなたの教育が悪かったのだから、耐えなさいと言われる。
人生は旅とは言う人もおられますが、マリアイネスの今までの人生は正に旅行?アルゼンチンから初めて日本の地を踏み、京都で10年、里へ3年帰りそして又日本の福山市へ。
沼隈町では能登原地区と林地区に合わせて22年?、そして同じ福山市、沼隈半島から内海大橋で繋がってる田島へ引っ越してきて11年目になる。
子供たちもとっくに巣立ち、今は絵とお茶テレレ、(画廊喫茶)を土、日と月曜日開店そしてのんびり田島や熊野町でお茶を摘み、えかきはお煎茶や紅茶を作ったり、畑で野菜やフル-ツを自然栽培で育てたり、囲碁で主人と喧嘩をしながら、楽しんで生活をしてますガカワイフです。

絵は描かないつまのマリアイネスですが豊実の水彩画をテ-マにこのホームぺ-ジを開設いたしました
お一人にでもお役に立てることがありましたら小川憲一豊実のつまはとってもしあわせです
どうぞよろしくお願い申し上げます。
小川マリアイネス拝