1976年、アルゼンチンで長男を自然分娩した日

「バナナの食べすぎだと思った」初めての出産体験

「バナナの食べすぎだと思った」初めての出産体験

 

1976年9月4日。
私は20歳で、アルゼンチンで長男を自然分娩で出産しました。

初めての妊娠、初めての出産。
嬉しさもありましたが、何もかもが手探りでした。

 

 

マンションが見つからない時代のブエノスアイレス

 

結婚後、ブエノスアイレスで賃貸マンションを探しました。

ところが、新聞広告を見て現地へ行くと、どこも長蛇の列。
受付で何に使うのかわからない“頭金のようなお金”を払い、返事を待つ仕組みでした。

一週間、あるいは二週間後に返ってくる返事は、たいてい同じ。

「他の方に決まりました」

今思えば、大家さんは集めたお金を銀行に預け、利子で利益を得ていたのではないか…。
当時銀行勤めだった私は、そんな想像もしていました。

妊娠中でもあり、結局ブエノスアイレス暮らしを諦め、里へ戻って家族と同居することになりました。

 

6人きょうだいの長女として育つ

 

私は6人きょうだいの長女。
にぎやかな家庭で育ちました。

田舎育ちなので、流れる時間はどこかゆっくりしています。

特に母の存在は大きく、絶対的でした。

母は6人の子どもを育て上げた人。
しかも兄と私以外の4人は、父が家で取り上げたのです。

今思うと、助産経験のない父に任せた母の度胸に驚きます。

 

 

出産前日、日本映画の上映会へ

 

日本人移住地には、当時みんなが楽しみにしていたものがありました。

大きな映写機と、重たいフィルムを持って、Mr. Mario がバスでやって来る映画上映会です。

上映されるのは、
「紅白歌合戦」や「男はつらいよ」。

移住者たちにとっては、日本を懐かしむ大切な時間でした。

1976年9月3日。
その夜も上映会があり、お店は大忙し。

私は夕食を食べる時間もなく、バナナを2〜3本口に放り込みました。

 

「バナナの食べすぎだ」と思った陣痛

 

映画の途中から、お腹が痛くなりました。

「バナナを食べすぎたんだ」

そう思いました。

経験豊富な母も、最初は陣痛ではないと言います。
痛みの間隔がバラバラだったからです。

それでも、夜が明ける頃には痛みが強くなり、小さな町の病院へ向かうことになりました。

当時、家には車がありません。

たまたま家に泊まっていた知人にお願いし、20kmほど離れた病院まで送ってもらいました。

 

自然分娩で長男が生まれた瞬間

 

病院へ着くと、すぐ分娩室へ。

気がつけば、長男が生まれていました。

赤ちゃんが産道を通る痛みは、言葉では説明できません。

でも、それ以上に不思議なのは、生まれた瞬間に痛みがすっと消えること。

安堵感、幸福感、脱力感。
いろんな感情が一気に押し寄せました。

そして聞こえてきたのが、

「男の子ですよ!」
「金髪ですよ!」

という看護師さんたちの冗談。

東洋人の私たち夫婦に金髪の赤ちゃんが生まれるはずもないのですが、アルゼンチンの人たちは本当によく冗談を言うのです。

 

 

一泊で退院、そして父たちは大宴会

 

アルゼンチンでは、出産後の入院は一泊だけ。

しかも出産が終わると、主人は赤ちゃんの顔を見て帰宅。

その夜、父と主人は私と赤ちゃん抜きで、べろんべろんに酔っていたそうです。

「名前をどうする?」

そんな会話を録音したカセットテープが、今も残っています。

 

アルゼンチンで始まった子育ては、
やがて京都で次男を迎えることになります。

  • 「京都で生まれた次男の話」

 

50年経って思うこと

 

1976年9月4日から50年。

色々ありました。

長男タケルとは20歳差。
当然ですが、親子というより、一緒に成長してきたような感覚もあります。

自然分娩では、誕生日は選べません。

タケルは時々、

「俺は9月4日生まれだから、苦しんで死ぬんだ」

などと言います。

もちろん、どの親も子どもの不幸なんて望みません。

でも、人生は思い通りにはいかない。

幼い頃は、ブトやバリグイに刺されながら、

「大きくなったら全部退治してやる!」

と言っていたタケル。

今では舞台役者として、自分の人生を歩いています。

 

母は「バナナの食べすぎ」だと思っていた

 

あの日、私は陣痛を「バナナの食べすぎ」だと思っていました。

そんな勘違いから始まった長男の人生。

子どもの人生は、本当にわからないものです。

そして私は今でも思います。

小川家は、やっぱり
「厳父慈母」なのかもしれません。

 

 

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投稿者

  • mary

    アルゼンチン生まれ育ちの日系二世の小川(松ノ下)マリアイネスです。
    19歳でえかきの小川憲一豊実(おがわけんいちほうじつ)と結婚して来年には金婚式を迎えます。お勤めの方たちの妻とは違いまして金銭的には色々あった人生です。しあわせだったか、しあわせでなかったかはあの世へ行く瞬間にしか分からないと母親がいってました。
    価値観は個々違いますが、自分ではしあわせだと思っております。
    喧嘩を一回もしたことのないご夫婦も存在しますが、私たちは毎日のように京都育ちのえかきとは意見は合わずその違いで議論になることは多々あります。
    このような絵描きの妻ですが、どうぞよろしくお願いします

    “The Painter’s Wife”

    小川(松ノ下)マリアイネス拝

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