風になった私「今給黎教子」を読んで――えかきのつまの「夢」は?

結構分厚い小説、350ページ。
最近聴きに行った永井晃先生のトークで紹介され、
本当は興味を持った本が二冊あったのですが、同じ女性として、
「今給黎」……どう読むの?
日本語は難しいな、と時々思います。
特に私には、苗字を読めないことがよくあります。
「今給黎」……?
いまきいれ?
初めて耳にする苗字でした。
私は本を読むとき、
どちらかというと、タイトルに惹かれて本を選ぶことが多い、
もちろん、読み始める前に著者のことを少し読むこともあります。
今回は、少しドキドキしながらページをめくりました。
そして驚いたことがありました。
今給黎教子さんは、私の両親と同じ鹿児島の方だったのです。
それだけで、なんとなく親しみを感じました。
「風になった私」って、どういう意味?
タイトルを見たときから、少し気になっていました。
「風になった私」
何年か前に流行った「千の風になって」という歌が、
「風になった私……?」
もしかして、あの世へ行ったということ?
などと、いろいろなことが頭の中を巡ります。
大体、目次もあまり読まないえかきのつま。
せっかちではないつもりなのですが、いつも少し飛ばして、
ところが今回は、
海
無限の深さをたたへ
渺々として 然も大地を包含し
万国の岸辺に波の花咲く
内に宝庫を秘め
大小船縦横の航行を挟ける。
また人心を動かし 人目をいやす
一旦 風雲襲来せば
怒涛逆巻き 巌も砕き
船もみじんに人命も絶つ
旭光を生み 落陽を呑む
偉大なるかな
海 海 海の威力よ
この詩を読んで、改めて「海」というものの大きさを感じました。
穏やかなときには人の心を癒してくれる。
けれど、ひとたび荒れれば、船をも砕き、人の命さえ奪う。
美しさと恐ろしさ。
その両方を持っているのが自然なのだと思います。
そして、この詩が何を意味するのか……。
読み進めるうちに、少しずつ分かってきました。
これは、今給黎教子さんのお父さまが、
なるほど。
そうだったのか、と納得しました。
幼い頃の体験や、親から受け取ったものは、
そんなことも考えさせられました。
278日の海の記録
今給黎教子さんが残した278日の記録。
その中には、私自身も考えさせられる言葉がたくさんあります。
その中から、心に残った一節を。
「日本でもこの月が見えているはずだ。
海にいると、それらはまるで昔から友人のようだ。
うれしく、懐かしくて、思わず声をかけてしまう。」
そして、さらに心に残ったのが、自然についての言葉でした。
人間の思惑の届かない大自然の恵み。
その中で、自分も生かしてもらっている。
自然は優しいだけではない。
時には、その大きな手で人間を握りつぶすこともある。
それでも、その手のひらは大きく、広く、あたたかい。
自然にあらがうのではなく、仲良くしていこう。
人間が傲慢になってはいけない。
そんな思いが綴られています。
そして、
「自然の大きさよ、自然の偉大さよ」
という言葉が心に残りました。
ヨットの冒険をしたことのない私ですが……
えかきのつまは、ヨットで冒険をしたことはありません。
でも、本を読みながら、ふと思いました。
私は海ではなく、ジャングルの中で青春時代を過ごした。
「私が青春時代を過ごしたジャングル、
https://ekakinotsuma.com/iguazu-falls/
広い海はありませんでした。
けれど、自然の偉大さを感じる場所で育ちました。
イグアスの滝。
あの圧倒されるような水の音、力強さ。
今思えば、
だからでしょうか。
海の上で月や星を眺めながら、自然の中で「生かされている」
人生を歩いてきた場所は違っても、自然から受け取ったものには、

そして、「夢」について考える
「今の私にとって、絵とともに過ごす毎日も、
この本を読みながら、最後には自分自身のことを考えていました。
私の夢は何だったのだろう?
若い頃に思い描いていた夢。
今まで生きてきた中で、叶った夢。
叶わなかった夢。
そして、これからの夢。
人は年齢を重ねても、疑問を持ち続けるものなのですね。
教育についても、改めて考えました。
同じように育てても、子どもは一人ひとり違う。
それが当たり前なのだと思います。
だからこそ、子育てや教育には「これが正解」
そして、疑問は生きている限り続いていくのでしょう。
一冊の本を読んだだけなのに、
「夢」とは、若い頃に持つものだけではないのかもしれない。
今の私にも、まだこれからの夢がある。
そんなことを考えさせてくれた一冊でした。

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