彼女が選んだ安楽死~たった独りで生きた誇りとともに~

「生きること」と「死を選ぶこと」について、
日々気になりながら、
2022年、迎田良子さん(64歳)は、
重い神経難病を患っていた彼女は、死を迎える直前、
「安楽死することは悲しいことではない。
その言葉が、ずっと心に残りました。
たった1時間ほどのドキュメンタリーでした。
そして、
どうしてなのか、自分でもよく分かりません。
ただ、胸が締め付けられるような思いで見ました。
彼女は、日本でも安楽死を認めてほしいと願っていました。
一方、スイスの医師も、
「自分の国でできるのなら、こんな遠くまで来なくてもいいのに」
という趣旨のことを話していました。
日本から遠く離れたスイスまで行かなければならない。
それだけでも、
そもそも、安楽死とは?
安楽死(euthanasia)という言葉は、ギリシャ語の「
ただし、ここでは少し注意が必要です。
一般に「安楽死」と呼ばれるものの中にも、
また、認められている国でも、
病気の種類や苦痛の程度、本人の意思確認など、
ネットで調べてみると、
でも、正直なところ、気分が落ち込んでいる時には、
それほど、重いテーマです。
自分のことだったら……

えかきのつま自身が、もしそのような立場になったら。
安楽死を選ぶのか。
それとも、どんな状態でも生き続けたいと思うのか。
今の私には、答えがありません。
もちろん、現実には金銭的な問題もあります。
でも、それ以上に分からないのが、
自分の心はどうなるのだろう?
ということです。
母は乳がんから骨や肺に転移し、
それでも、動くことができなくなってからも、
「どうしたら治るのだろう」
と必死に考えていました。
生きることを諦めてはいませんでした。
その姿を見てきた私には、
「あと一日、生きたい」
友人に、安楽死について個人的な意見を聞いてみました。
友人は、
「あと一日生きることこそが最大の喜びであり、
と言いました。
そして、こんな話をしてくれました。
莫大な富を持つ大富豪や王様。
もし、その人に残された命があと一日しかないとしたら。
その富を享受するでしょうか。
それとも、
「あと一日だけでも生きたい」
と願うでしょうか。
私は、その言葉を聞きながら考えました。
今、耐えられないほどの痛みを抱えていないから、
でも、その友人自身、以前に死にかけた経験があります。
だからこそ、そう思うのかもしれません。
人によって、生きることの意味は違うのでしょう。

生きるということ
生きることは、
毎日の何気ない瞬間を味わうこと。
朝起きて、
ご飯を食べて、
誰かと話して、
小さなことに笑ったり、
何でもない一日に幸せを感じたりすること。
そう考えるなら、
痛みがあったとしても、その中で大切に生き続けることが、
でも……。
それも、今の自分だから言えることなのかもしれません。
答えは、まだ出ない
今回、このドキュメンタリーを見て、
むしろ、反対に、
結論が出なくなりました。
人は、それぞれ違う人生を生きています。
同じ病気でも、同じ痛みでも、
だから、
「生きるべき」
「死を選ぶべき」
と、簡単には言えないのだと思います。
ただ、一つだけ今の私が思うのは、
死んでしまったら、もうできないのが「生きること」。
ということです。
だから私は今のところ、
どのような状態になったとしても、
でも、その時になったら、考えが変わるかもしれない。
それも分かりません。
今のえかきのつまには、まだ答えが出ません。
だからこそ、もう少し考えてみたいと思います。







