三番目の彼女だった私 |雪のないクリスマス、真夏のブエノスアイレスで出会ったえかき

 

 

ブエノスアイレスの

クリスマスパ-ティ-で出会っ

た。

京都から来ていた、ひとりのえ

かきだった。

 

クリスマスといえば

雪を思い浮かべる人も多いだ

ろう。

 

けれど

ブエノスアイレスは違う。

 

真夏のクリスマスである。

 

暑い夜、

にぎやかなパーティ-の中で

私はそのえかきに出会った。

 

勇気を出して

ダンスに誘ってきたのは

踊ったことのない本人の方だった。

 

そして帰り際、

突然こう言われた。

 

「電話してこい。」

 

そう言って

住所録を私に渡した。

 

開いてみると

日本人の名前がずらり。

 

困ってしまった。

 

初めて会った人に

電話をするなんて。

 

まして私はその頃、

銀行に勤めながら

大学へ行く準備をしていた。

 

そのうえ

背骨の治療のため

地方へマッサ-ジにも行く予定だった。

 

結局、

電話はしなかった。

 

すると数日後、

やっと電話をしたときには

 

カンカンに怒っていた。

 

「約束を守らない人は嫌いだ」

 

そう言う本人は

二日酔いで

お酒の匂いがぷんぷん。

 

なんだか

わからない人だと思った。

 

その後も

色々ありながら

会うようになった。

 

ある日、

大学の試験に合格して

私はとても喜んでいた。

 

すると突然

彼が口にした名前。

 

それは

最初の彼女の名前だった。

 

もちろん

私は不機嫌になる。

 

すると彼の言い訳。

 

「アルゼンチンの名前は難しいから。」

 

今でも思い出すと

あきれてしまう。

 

実はその頃

私はまだ知らなった。

 

自分が

 

三番目の彼女

だったということを。

 

今となっては

笑い話だけれど

 

その頃の私は

かなりのやきもち焼き。

 

色々な出来事があって

大騒ぎの毎日だった。

 

それでも気がつけば

その京都のえかきと結婚し

 

日本の小さな島で

画廊喫茶をすることになった。

 

画廊喫茶「絵とお茶テレレ」の紹介はこちら

 

 

人生というのは

本当にわからないものだと思う。

 

あのとき

ブエノスアイレスの

クリスマスパ-ティ-に

行かなかったら

 

今の私は

いなかったかもしれない。

 

そしてそのえかきは

京都西陣から船で45日かけて

南米へ渡ってきた人。

 

えかきとはどんな人? 一緒に暮らしてわかったこと

 

次は

その少し変わったえかきの話を書こうと思う。

投稿者

  • mary

    アルゼンチン生まれ育ちの日系二世の小川(松ノ下)マリアイネスです。
    19歳でえかきの小川憲一豊実(おがわけんいちほうじつ)と結婚して来年には金婚式を迎えます。お勤めの方たちの妻とは違いまして金銭的には色々あった人生です。しあわせだったか、しあわせでなかったかはあの世へ行く瞬間にしか分からないと母親がいってました。
    価値観は個々違いますが、自分ではしあわせだと思っております。
    喧嘩を一回もしたことのないご夫婦も存在しますが、私たちは毎日のように京都育ちのえかきとは意見は合わずその違いで議論になることは多々あります。
    このような絵描きの妻ですが、どうぞよろしくお願いします

    “The Painter’s Wife”

    小川(松ノ下)マリアイネス拝

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