若い頃、苦にならなかったけどこの歳では自然と9歳年下でも限界感じる

懐かしいアルゼンチン時代の家

若い頃は何でも平気だったのに

ーーこの歳になると、9歳年上の

夫にもついていくのがやっと。

「もうちょっと手伝ってよ」と言い

たいけれど、絵描きは今日もマイぺ-ス。

それでも、昔のことを思い出すと笑

ってしまうんです。

えかき小川憲一豊実(おがわけんいちほうじつ)は、

どうやら妻がいつまで若い時と同じ体力だと思っているので困ったものです。

 

男女の筋力の違いって?

 

面白い記事ネットで見つけました。

ご興味のある方は覗いてみてく

ださい。

日本体育大学女性アスリ-トプロジェクト「男女の筋力の違い」

 

 

https://www.nittai.ac.jp/female_project/conditioning/chigai/41/

 

男女の筋力の差は、一般的に男性

の方が高く、特に上半身で顕著.

これは男性ホルモンであるテスト

ステロンが筋肉の量や筋力に影響

を与えることが主な理由です。

 

全身の筋力で比較すると、女性は

男性の約6割程。

特に上半身では男性の半分ほどと

されることもあります。

 

えかきのつまは男性がDVを振

るうのはいけないと思いますが、

最近では逆パタ-ンがあると聞き

ました。

男女平等とうたわれますが、力に関してはやはり男性にはかないませんね。

 

アルゼンチンでの新婚時代

 

 

アルゼンチン、ブエノスアイレスで結婚して間もなく、

私たちは親の家の隣に場所は(ミシオネス

州)に、自分で家を建てることに決

めました。

 

山から木を切り出し、父の製材所で材料を作りことから始まりました。

 

建前は移住地の方たちの協力で

 

完成まじかに右親指を落とし日本へ帰国となりました

 

タケルの誕生日、Colonia Luján |にて

 

時は1978~79年の頃かと思います。

母が嘆いたこと。

「山で、製材所で何もなかったの

に、まさか電気カンナで指を落と

すとは想像もしてなかった」と

そのころは長男タケルだけ。3

歳でした。

えかきが帰国した後、私はタケル

を連れて初めて日本へ。

向かったのはえかきの里、京都

です。

 

京都の10年、そして再びアルゼンチンへ

 

京都では10年住みました。

けれど教育はアルゼンチンの方が

のんびりしていていいと思い、再

び移住を決意。

タケルとヒトシを先に行かせ、次は私と長女のミルタそして最後

にえかき

今度はプエルトリーコという小さ

な町で過ごすことになりました。

 

 

手づくりのテニスコート

 

家の隣の空き地に、手作りの

テニスコートを作ることを決め

ました。

残念ながら写真はありませんが、

コンクリ-トをスコップで混ぜ、

バケツで運び、少しづつ仕上げて

いく作業でした。

 

家の前は私の母校。子どもたちを

迎えにと大勢の人たちが私

を見ては夫を責めるのです。

「女性を働かすなんて、信じられな

い!」と。

 

レイディファストの国では滅多に

見られない光景でした。

ましてや日曜日に仕事をしていると、驚かれ

て、「今日は日曜日、仕事してはい

けません」と怒られる。

 

その話をすると父は笑いながら言

いました。

「貧乏人は日曜日も働かないと生き

ていけないんです」と。

移住者は父や母のように日曜日

も祭日もなく働いて、

子どもたちを学校に通わせてた。

感謝でいっぱいです。

 

若かったのでなんのそのでした。

 

粗末なテニスコート

 

テニスを楽しむ次男のヒトシと友達たち
写真のバックは母校

 

えかきのつまはこの写真は大好きです

 

また日本へ、そして福山へ

 

再び日本へ帰ることになりました。

絵を日本へ送って生活していまし

たが、バブルがはじけてそうもい

かずー。

ブエノスアイレスで薬局に立ち

寄った時、

少し話しただけでこう言われま

した。

「早く帰りなさい。アルゼンチンで

は絵で食べてはいけません。芸術

家はみんなこの国から出ていくの

ですよ」と。

その言葉に背中を押されるようにして、再び日本へ。

 

京都から住む家を探し始め、縁が

あったのはここ福山。

この時も家族バラバラの帰国で

した。

 

えかきと長男タケルが先に帰り、

家が見つかってから次男ヒトシ、

長女ミルタ、そして私が後に。

能登原地区、草深と今は

田島。

気づけば「絵描きの妻」の人生の

半分以上が日本の生活になってい

ました。

多分、日本の土になることでしょうか。

 

 

それでも働く、絵描きの妻

 

相変わらずえかきは妻をこき使う

ルンペンスト-ブ用の薪になる素材を運び、古い畳10枚を畑に運び、草が伸びないように並べる。

どれも重-い!

 

 

「は-、疲れる。」

いっぷくして娘の家の熟した自然栽培の渋柿をいただく。

好物である

 

猿歳の私にはお似合いである

 

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親指なしがくっきり映っている
娘写す

 

 

先日も突然母屋の屋根が一部落ちて一週間かかってお手伝いさせられました。

その様子を覗きたい方はこちらへ

 

https://ekakinotsuma.com/looking-up-at-her-husband-repairing-the-roof-the-artists-wife-is-praying-below-under-the-autumn-sky/

 

 

仕事が終われば妻を怒り散らしたことも忘れ、

「まあ、ええか」と笑っている。

 

いやになるこの頃です。

「それでも夫婦、絵と人生は続きます」

 

絵描き78歳、妻69歳、

年齢とともに体は変わっても、心

はまだまだ現役。

明日もきっと、何かを運んで、

笑って過ごします。

若い頃は力仕事も平気だったの

に、今じゃ「ちょっと手伝って」

という前に、えかきがもう次の

仕事を増やしている。

それでもまあ、文句を言いな

がら働けるうちは、まだまだ

元気ってことにしておきましょ

うか。

今日も”絵描きの妻”は腕より

口の方をよく動かしていますーー

うふふ。

 

Puerto Rico
小川憲一豊実描く
画用紙に水彩画

 

 

小川(松ノ下)マリアイネス拝

 

 

 

投稿者

  • mary

    アルゼンチン生まれ育ちの日系二世の小川(松ノ下)マリアイネスです。
    19歳でえかきの小川憲一豊実(おがわけんいちほうじつ)と結婚して来年には金婚式を迎えます。お勤めの方たちの妻とは違いまして金銭的には色々あった人生です。しあわせだったか、しあわせでなかったかはあの世へ行く瞬間にしか分からないと母親がいってました。
    価値観は個々違いますが、自分ではしあわせだと思っております。
    喧嘩を一回もしたことのないご夫婦も存在しますが、私たちは毎日のように京都育ちのえかきとは意見は合わずその違いで議論になることは多々あります。
    このような絵描きの妻ですが、どうぞよろしくお願いします

    小川(松ノ下)マリアイネス拝