昔えかきのつまは、校長先生に「家計簿をつけなさい、と言われても」

赤字でも幸せ.絵描きの妻がつける”思い出長”という家計簿

収入はなくても、幸せは毎日積み重なる

数字ではなく思い出を記す、絵描きの妻ならではの“家計簿”について綴ります

 

校長先生の一言から始まった

昔、校長先生にこう言われたことがあります

「家計簿をつけなさい」

そのとき、私は思わず笑ってしまいました

なぜなら、昨日も今日も収入はゼロ.出ていくお金ばかりだからです

もし本当に家計簿をつけていたら、支出の欄ばかりが埋まり、私は余計に驚いて倒れてしまったでしょう

けれども、だからといって心が折れたことは一度もありません

 

お金よりも大切なもの

なぜなら、不思議なことに「苦労」だと感じたことがなかったからです

それよりも私は、夫が毎日絵を描いている姿を眺めたり、一緒にご飯を食べたりすることの方

が大事でした

 

つまり、数字では測れない幸せが、ちゃんと毎日積み重なっていたのです

それが私にとっての「家計簿」.数字ではなく、幸せの記録でした

 

もしあの時、本当に帳簿をつけていたらーー

きっと「支出はいっぱい、でも思い出もいっぱい」と書き足していたに違いありません

 

サラリ-マンの妻 vs 絵描きの妻

ここで、ちょっと比べてみましょう

⁂サラリ-マンの妻:給料日が楽しみ、家計簿に数字が並ぶ

⁂絵描きの妻:給料日はいつ来るのか神のみぞ知る、家計簿には白紙が続く

 

⁑サラリ-マンの妻:賞与で旅行

⁑絵描きの妻:展示会は赤字旅行

またーー

 

*サラリ-マンの妻:夫の背広にアイロン

*絵描きの妻:夫のパレットも筆も洗わせてもらえない

 

サラリ-マンの妻は背広にアイロンをかけるけれど、絵描きの妻は夫の筆を洗う、、、と言いたいところですが、うちの夫は頑固で「筆は自分の命」だそうで、私には一本たりとも触らせてくれません

だから私の仕事は、床にまで並んだ絵をよけながら掃除をすること。これが一番大変な仕事なのです

 

小川憲一豊実描く

 

お金より思い出長

 

もちろん、私だってたまには「お金のこと」を口にしたことがありました

しかしそのたびに、夫はいつも決まってこう言うのです

「大丈夫、いつか有名になるから」

そう言って笑いながら、そして真顔で「絵は売れなくてもいい」とも言うのですから、私には返す言葉がありません

それでも、田島の夕日を眺めれば心は穏やかになり、夫は今日も黙々と筆を動かし、私は床にまで広がった絵をまたいで掃除をする...。

要するに、絵描きの妻の帳簿には「数字」ではなく「苦労と笑い」がぎっしり書き込まれているのです

 

田島の夕日は心穏やかにする

 

思い出長という財産

振り返ってみれば、校長先生に「家計簿をつけなさい」と言われたあの日から、私は一度も帳簿を開いたことはありません

というより家計簿そのものを見たことすらありません

なぜなら、もしつけていたとしても「収入なし、払出あり」と書き続けるだけで、きっと気が滅入ってしまったでしょう

しかし、その代わりにえかきのつまの心の中には「思い出帳」が積み重なっています

例えばーー

*トヨタタウンエ-スに絵を積んで全国を回った日々

*展示会で出会ったお客様の笑顔

*そして頑固な絵描きの夫が筆を振り続ける姿

これらすべてが、お金では測れない豊かさとして残っているのです

結局のところ、私たちには「家計簿」より「思い出長」で十分でした

 

次回予定

来週は幼少期の思い出、父が「畑の肉」と呼んだキクラゲの話をお届けします

お金はなくても、笑顔と幸せがいっぱいの日々を、また綴らせていただきます

 

小川(松ノ下)マリアイネス拝

 

箪笥の引き戸に阿伏兎観音油彩画 小川憲一豊実描く

 

 

投稿者

  • mary

    アルゼンチン生まれ育ちの日系二世の小川(松ノ下)マリアイネスです。 19歳でえかきの小川憲一豊実(おがわけんいちほうじつ)と結婚して来年には金婚式を迎えます。お勤めの方たちの妻とは違いまして金銭的には色々あった人生です。しあわせだったか、しあわせでなかったかはあの世へ行く瞬間にしか分からないと母親がいってました。 価値観は個々違いますが、自分ではしあわせだと思っております。 喧嘩を一回もしたことのないご夫婦も存在しますが、私たちは毎日のように京都育ちのえかきとは意見は合わずその違いで議論になることは多々あります。 このような絵描きの妻ですが、どうぞよろしくお願いします 小川(松ノ下)マリアイネス拝