『順伊(スニ)おばさん』を読み始めて考えたこと|死と人生の後悔について

先日、韓国文学『順伊(スニ)おばさん』を読み始めました。
この小説は済州4・3事件という、
まだ読み始めたばかりですが、物語を追ううちに私は自然と「死」
最近は身近な人との別れが続き、気持ちが少し沈みがちです。
人は必ず死を迎えると分かっていても、
『順伊(スニ)おばさん』は、済州4・
歴史の中で起きた出来事であっても、
小説を読みながら、私は亡くなった父のことを思い出しました。
コロナ禍のためアルゼンチンへ帰ることができず、
頭では父が亡くなったことを理解しています。
けれど心のどこかでは、
電話をかければ出てくれそうな気がする。
そんな感覚が時々あります。
年齢を重ねるにつれ、周囲では別れが増えていきます。
友人、知人、親族。
そしていつかは自分自身も、この世を去る日がやってきます。
誰にも平等に訪れるもの。
それが死です。
だからこそ、死を考えることは、
後悔について
以前読んだ記事で、
「挑戦しなかったこと」
だと知りました。
また、多くの人が
- 他人の目を気にし過ぎた
- 家族との時間をもっと大切にすればよかった
- 自分の気持ちに正直に生きればよかった
- もっと旅をすればよかった
- もっと冒険すればよかった
と振り返るそうです。
人生は長いようで短い。
80歳まで生きるとして約29,200日。
数字にすると意外と少ないものです。
私は残された日々で何をしたいのだろう。
何を大切に生きたいのだろう。
そんなことを考えています。
後悔しない人生など、きっと誰にもないのでしょう。
それでも今日という一日を大切に生きることはできる。
好きな人に会い、好きなことをして、感謝を伝える。
それを積み重ねていけば、
『順伊(スニ)おばさん』は、歴史を知るだけでなく、
内部リンク
- 「人生の半分以上は日本、
生まれ育ちはアルゼンチン故郷はどっちでしょう」 - 「人は散り散りになっていく」
- 「生きているうちに初体験は何回あるのでしょうか?」
- 「計画なしの旅」
- 「29の思い出」





