下駄をはいて船で45日、京都のえかきがアルゼンチンへ渡った

「下駄で南米へ渡った京都西陣のえかき」
を書きます。
この記事を書くと、どうしても
えかきが最初に南米へ渡った話を書きたくなりました。

日吉ヶ丘高校時代 メガネのがえかき つま冗談でいいます、メガネ姿で知り合っていたらたぶん結婚してないと。
京都の西陣で生まれ育った
一人の青年がいた。
小川憲一。
まだ二十歳の頃の話である。
その頃の日本は、
今のように簡単に海外へ行ける時代ではなかった。
それでも彼は
突然日本を飛び出した。
しかも飛行機ではなく
船で南米アルゼンチンへ。
船旅は
なんと45日。
船に乗ったとき、
えかきはまだ下駄を履いていた。
それを見た船長が
「船の中では下駄は禁止」と言って、
自分の革靴を貸してくれたそう
である。
京都の青年は
そのとき初めて
革靴を履いたのだった。
今では想像も出来ないほど
長い旅だった。
目的はただ一つ。
絵を描くため。
南米には
まだ見たことのない景色がある。
アンデスの山。
インカの遺跡。
ペル-クスコの街。

船旅の途中、Rio de Janeiro にて
それを
自分の目で見て描きたい。
その思いだけで
京都の青年は海を渡った。
船旅は長かったが
本人にとっては
とても楽しい時間だったそうだ。
色々な国の人と出会い、
色々な言葉を聞き、
海の上で過ごす日々。
そして45日後、
船はブエノスアイレスに着いた。
そしてブエノスアイレスに着い
たとき、
えかきのポケットには30ドルし
かなかった。

着いた港から少し上がると望むPlaza San Martin
そこから
彼の南米生活が始まる。
南米をあちらこちら
放浪しながら絵を描く生活。

夢見たペル-にて

ペル-クスコにて

気がつけば
15年。
そしてその南米で
アルゼンチン生まれの日系二世の女性と出会う。
それが
えかきのつま、私である。
あのとき
京都の青年が船に乗らなければ
私たちは
出会っていなかった
そしてその人と
気がつけば結婚し、
気がつけば五十年。
そしてブエノスアイレスに着い
たとき、
えかきのポケットには30ドルし
かなかった。
今思うと
よくそんなお金で
遠い国へ来たものだと思う。
けれど本人は
そんなことは少しも気にしていなかったようだ。
人生というのは
本当に不思議なものだと思う。
今ではそのえかきと結婚し、
福山市内海町田島で
画廊喫茶「絵とお茶テレレ」をしてます
そして実はこの話、まだ続きがあります。
次の記事では
私が初めてそのえかきに会った
ブエノスアイレスのクリスマスパ-ティ-の話。
そして
「三番目の彼女だった私」
という
少し笑える話もあります。
Artist’s wife’s life 
Living on a small island in Japan
Gallery café 絵とお茶テレレ
Writing a blog about art & life
↓
https://donkenart.com/gallery-cafe-terere-exhibits-paintings-by-kenichi-ogawa/
Life, memories, and art.
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Vida, recuerdos y arte.
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