警察の話|アルゼンチンで当たり前だったこと

アルゼンチンで暮らしていた頃、
警察という存在は、日本とは少し違っていました。
安心を守るもの、というよりも、
どこか距離のある存在だったように思います。
子どもだった私は、
警察を見て安心するというより、
少し身構えるような気持ちがありました。
大人たちの様子を見ていても、
警察に対して、素直に頼るというより、
どこか慎重に接しているように感じていました。
日本に来てから、
その違いに驚いたことを覚えています。
困ったときに、
警察に助けを求めるという感覚。
それは、私にとっては、
少し不思議なことでした。
どちらが良いとか悪いとか、
そういうことではありません。
ただ、育った環境によって、
当たり前だと思っていることが、
こんなにも違うのだと感じたのです。
今でも、ときどき思い出します。
あの頃の空気や、
大人たちのちょっとした表情を。
言葉にするほどではないけれど、
確かにそこにあった感覚。
そういうものが、
今の私の中にも、静かに残っている気がします。
友人や身内が電話をかけてきて、警察ですがと言いながら、
びっくりさそうとするときには、騙されない.
でも今回は、「どこどこの警察ですが」の電話にはなぜだか、
直感というか大丈夫、どうしたの!と言いながら、愕然として、心臓がパクパク.
警察からの連絡でよいことはあまりないと考える.
やはりいいニュ-スではなかった.
身内が車に追突されての電話であった.
不幸中の幸いということわざがあるように、ことは命に別状はなかった.
直ぐ事故現場に駆け付けた時には,
本人は一人で救急車で搬送されてた、
会うまでは気持ちは落ち着かない.
スク-ターに乗っていたので、車に追突され、
宙に浮き,飛んで、反対車線のアスファルトに落ちた、
幸い車が来てなく助かった.
病院へ行って、待っていた彼を見て、
やっと心が落ち着き始めた.
骨に異常はなく、打撲でした.
ただ日にちが過ぎないと実際のところはわからない、
後遺症がでるかも、でないかも...
この事故で自分は知らないことが多々あると感じた.
警察初め、保険会社、
皆様は自分たちの立場から考えることを実感、
自分はしっかりしてないと、知識がないとされるままである.
世の中人間はやさしいだけでは生きづらい.
長年保険のお仕事をされていた叔母に相談したところ
、自分の事を第一に考えるようにとアドバイスされた.
人生には突然が多くある、
しっかり気を付けてても、一瞬で事故は起こる.
事故をする側、される側、色々なケ-スは存在しますが、
本当に仰天することは見る見る内に白髪が増える.
玉手箱を開けたらおばあさんになっていた、童話みたいに.

同じ「警察」でも、こんなに違う
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あの頃の空気や感覚は、
今も静かに残っています。


