人との距離|アルゼンチンで育って感じたこと

アルゼンチンで育った私は、
人との距離について、あまり深く考えたことがありませんでした。
そこでは、人と人との距離がとても近いのです。
家族だけでなく、近所の人たちも、
まるで親戚のように関わってきます。
誰かが困っていれば、自然と手を差し伸べる。
特別なことではなく、それが当たり前でした。
日本に来てから、
その「当たり前」が、少し違うことに気づきました。
人との距離が、どこか慎重で、静かで、
踏み込みすぎないようにしているように感じたのです。
最初は、その距離に戸惑いました。
なぜそこまで遠慮するのだろう。
どうして、そんなに気を遣うのだろうと。
けれど、長く暮らしていくうちに、
それもまた一つの優しさなのだと、思うようになりました。
近すぎないことが、相手を守ることもある。
踏み込まないことで、保たれる関係もある。
そう気づいたとき、
「どちらが正しい」というものではないのだと思いました。
ただ、違うだけなのだと。
けれど今でも、ふとしたときに思うのです。
もう少し、近くてもいいのではないかと。
もう少し、言葉にしてもいいのではないかと。
アルゼンチンで育った私の中には、
今もその感覚が残っています。
だからこそ、
人との距離について考えることは、
自分の原点を見つめることでもあるのです。

近すぎるのか、遠すぎるのか
遠い国の出来事も、
自分の生きてきた時間も、
どこかでつながっているように感じます。
この話の続きは、ブログに少しだけ書いています。
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