宗教は違っても、人は同じなのかもしれない

宗教が違うと、
考え方も生き方もまったく別のように見えることがあります。

でも実際にいろいろな人と出会っていると、
根っこの部分では、みんな同じ「人」なのだと感じることがあります。

静かに座る坐禅も、
心を落ち着かせる瞑想も、
方法は違っていても、
人が「自分を整えたい」と願う気持ちは似ているのかもしれません。

 

 

私は特別に宗教に詳しいわけではありません。

ただ、人生の中でいろいろな国の人と出会い、
それぞれ違う文化や考え方に触れてきました。

 

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人との距離|アルゼンチンで育って感じたこと

 

 

その中で感じるのは、
宗教や国が違っていても、
嬉しいことに笑い、
悲しいことに涙を流すのは皆同じだということです。

 

  • 坐禅と瞑想は似ている?

坐禅をして心を静かに整える人もいれば、
瞑想によって自分の内側と向き合う人もいます。

 

  • 人はみな穏やかに生きたい

名前や形は違っても、
「少しでも穏やかに生きたい」
という願いは似ているように思えます。

 

  • 違いを否定しない難しさ

もちろん考え方の違いはあります。

けれど違うからこそ、
相手を否定するのではなく、
「そういう考え方もあるのだな」と思える余白を持てたら、
世の中はもう少し優しくなるのかもしれません。

 

  • 歳を重ねて思うこと

歳を重ねるほど、
正しさを競うよりも、
人としてどう生きるかのほうが大切に思えてきました。

宗教は違っても、
最後はみんな同じ人間。

そんなことを、
坐禅や瞑想という静かな時間から感じています。

 

坐禅も瞑想も、 方法は違っていても、 人が自分を整えようとする時間なのかもしれません。

 

人は皆違います。

それでも、どこか同じもの

を抱えて生きているのかも

しれません。

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人はひとりで生まれ、ひとりで

死ぬ。それでも。

親が育てたように子は育つ

投稿者

  • mary

    アルゼンチン生まれ育ちの日系二世の小川(松ノ下)マリアイネスです。
    19歳でえかきの小川憲一豊実(おがわけんいちほうじつ)と結婚して来年には金婚式を迎えます。お勤めの方たちの妻とは違いまして金銭的には色々あった人生です。しあわせだったか、しあわせでなかったかはあの世へ行く瞬間にしか分からないと母親がいってました。
    価値観は個々違いますが、自分ではしあわせだと思っております。
    喧嘩を一回もしたことのないご夫婦も存在しますが、私たちは毎日のように京都育ちのえかきとは意見は合わずその違いで議論になることは多々あります。
    このような絵描きの妻ですが、どうぞよろしくお願いします

    “The Painter’s Wife”

    小川(松ノ下)マリアイネス拝

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