舞台が終わっても、拍手が心の中で鳴り続けていた|70歳の母が見た50歳の息子

舞台が終わっても、拍手は心の中で鳴り続けていた

息子の舞台を見るため、久しぶりに東京へ向かいました。

 

 

新幹線に揺られながら、窓の外を流れる景色を眺めていました。

 

私は今年、古希を迎えます。
息子は50歳。
「親子の時間は、こんなにも早く過ぎるものなのか。」

 

福山から東京は決して近くありません。
「次はいつ行けるかわからない。」
そんな思いで新幹線に乗りました。

 

長男のタケルは、親の都合で京都、福山、

アルゼンチンを行き来しながら育ちました。

京都外国語大学を卒業し、

教員や警察官という安定した道もありました。

それでも自分で選んだのは俳優でした。

決して楽な道ではありません。
それでも、自分の人生を歩いています。

 

パンフレットには
「池袋東口からグリーン大通りを徒歩10分」と書かれていました。

「グリーン大通りをご存じですか?」

何人かに尋ねても、
「わかりません。」

そのとき初めて思いました。

今は人に道を聞く時代ではなく、Googleマップの時代なのだと。

 

困っていると、通りかかった女性に思い切って尋ねました。

あうるすぽっと、知りませんか?親切な彼女は

携帯で調べてくださり、

「一緒に行きます」

その一言が、どれほどありがたかったことか。

あのときの私には、まるで

神様に出会えたような気持ちでした。

 

開演十五分前。

私は無事、劇場へ着くことができました。

あの日、東京で一番助けてくださったのは、日本人ではなく、

インドネシアから来られた女性でした。

 

 

舞台が始まると、私はいつの間にか物語ではなく、

息子の歩んできた五十年を見つめていました。

アルゼンチンで遊んでいた幼い姿、

京都で暮らした日々、

福山へ来た頃のこと……

五十年という時間が、走馬灯のように心をよぎりました。

 

 

そのあと楽屋へ伺いました。

皆さんが笑顔で迎えてくださり、一緒に写真も撮りました。

会社勤めとは違う世界。

楽しそうに見える一方で、えかきである主人と同じように、

経済的には決して楽ではないことも感じました。

「やっぱりカエルの子はカエルだな。」

そんなことを思わず笑ってしまいました。

 

 

子どもは、いつまでも子どもだと思っていました。

でも、この日、舞台の上に立っていたのは、「私の息子」ではありませんでした。

一人の俳優として、自分の人生を歩いてきた一人の人間でした。

親は子どもを育てます。

けれど最後は、自分の力で人生を歩いていくものなのですね。

その姿を見ることができたことが、私にとって何より幸せな時間でした。

東京駅へ向かう帰り道。

胸の中では、舞台への拍手が、まだ鳴り続けていました。

 

その拍手は、息子だけでなく、自分の人生にも送られているような気がしました。

 

 

内部リンク

 

① 親が育てたように子は育つ

② 仕事で役に立っていると実感できる方がお金より満足できる

③ 富士山を描く理由(絵描きの人生)

④ 70歳の母が見た50歳の息子

投稿者

  • mary

    アルゼンチン生まれ育ちの日系二世の小川(松ノ下)マリアイネスです。

    19歳で、えかきの小川憲一豊実(おがわけんいちほうじつ)と結婚し、今年、金婚式を迎えました。

    会社勤めの方のご家庭とは違い、金銭的にはいろいろあった人生です。

    しあわせだったか、しあわせでなかったかは、あの世へ行く瞬間にしか分からない――と、母が言っていました。

    人それぞれ価値観は違いますが、私は自分ではしあわせだったと思っています。

    喧嘩を一度もしたことのないご夫婦もいらっしゃるでしょうが、私たちは毎日のように、京都育ちのえかきとは意見が合わず、その違いから議論になることも多々あります。

    そんな絵描きの妻ですが、どうぞよろしくお願いいたします。

    “The Painter’s Wife”

    小川(松ノ下)マリアイネス 拝

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