夢は叶わなくても、しあわせな人生はある|思い通りでなくても人生は豊かになれる

若いころ思い描いていた夢が、
そのまま叶うとは限りません。

願った道と違うところに
立っていることもあります。

けれど、だから不幸なのかというと、
そうではない気がするのです。

夢が叶わなかったからこそ出会えた人、
見えた景色、育った心もある。

思い通りではなくても、
しあわせな人生は、きっとある。

今日はそんなことを書いてみます。

🔗

夢が思うように進まない時、迷いそのものにも意味があるのかもしれない。

以前書いた「人生に迷った時」にも通じる思いがあります。

🔗

あなたは特別

 

 

「夢を叶えること」が
しあわせだと思っていた頃がありました。

けれど長く生きていると、
しあわせはもっと別のところにもあると気づきます。

それは――

大切な人と笑えること。
好きなことを続けられること。
小さな喜びを味わえること。

そういう何気ない日々の中に、
人生の豊かさは宿っている。

夢が形にならなかったとしても、
生きてきた道に意味がなくなるわけではありません。

むしろ遠回りや挫折が、
人を深くしてくれることもある。

売れない日があっても描き続ける人。
派手ではなくても好きなことを守って生きる人。

そういう生き方に、
私はしあわせを見ることがあります。

叶った夢より、
続けてきた人生そのものに価値がある。

そう思えたら、
少し心が自由になる気がします。

夢は叶わなくてもいい。

そのかわり、
今日を味わって生きられたなら――

それもまた、
しあわせな人生なのだと思うのです。

 

夢が叶ったかどうかより、
どんなふうに生きたか。

それが、人生を決めるのかもしれません。

思い通りではなくても、
しあわせは、案外すぐそばにある。

 

「個々の人生でしょうか」という問いには、私はこう感じます。
早く旅立つ人にも、長く生きる人にも、

それぞれ固有の人生がある――たぶんそうなのだと思います。

 

長さだけでは測れないものがある。

短くても深く人に何かを残す人もいるし、

長く生きて少しずつ実る人生もある。

 

ご友人の
「いつ死んでも後悔はしない」
という言葉には、時間の長さではなく、

生き方の濃さを感じます。

そして、切なさを感じるのは、

残された側に愛情があるからでもあります。

 

若くして逝く人を思うと、切なさは残る。
けれど人生は、長さだけで測れるものでもないのかもしれない。

それぞれに、それぞれの生のかたちがある。
個々の人生がある。

夢が叶ったかどうかだけではなく、
その人がどう生きたかに、
本当の豊かさはあるのかもしれない。

そう思うと、
夢が叶わなくてもしあわせな人生は、確かにある気がする。

これは今の記事に自然につながると思います。

 

 

 

投稿者

  • mary

    アルゼンチン生まれ育ちの日系二世の小川(松ノ下)マリアイネスです。

    19歳で、えかきの小川憲一豊実(おがわけんいちほうじつ)と結婚し、今年、金婚式を迎えました。

    会社勤めの方のご家庭とは違い、金銭的にはいろいろあった人生です。

    しあわせだったか、しあわせでなかったかは、あの世へ行く瞬間にしか分からない――と、母が言っていました。

    人それぞれ価値観は違いますが、私は自分ではしあわせだったと思っています。

    喧嘩を一度もしたことのないご夫婦もいらっしゃるでしょうが、私たちは毎日のように、京都育ちのえかきとは意見が合わず、その違いから議論になることも多々あります。

    そんな絵描きの妻ですが、どうぞよろしくお願いいたします。

    “The Painter’s Wife”

    小川(松ノ下)マリアイネス 拝

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です