カピクアに念願の長女誕生 1984年12月21日

子どもたちも、それぞれの気持ちを抱えながら成長していくのですね。

右から読んでも左から読んでも同じ言葉を、日本では「回文」と呼びます。

アルゼンチンでは、それを「カピクア」と言います。

 

 

1984年12月21日。

 

私たち家族に待望の長女が誕生しました。

長男のタケルは、祖父母が日本へ里帰りした際に一緒にアルゼンチンへ渡り、現地のスペイン語の小学校へ通っていました。

私は次男のヒトシを連れて、長い飛行機の旅。

今でも忘れられないのは、妹が生まれたときの二人の反応です。

タケルは嬉しそうな笑顔で赤ちゃんを見つめていました。

その一方で、ヒトシはとても複雑そうな表情。

いつもおしゃべりな子なのに、その日は静かに黙り込んでいました。

幼いながらに、何かを感じていたのでしょう。

兄になった喜びや戸惑い。

そんな小さな心の動きも、今となっては大切な思い出です。

 

 


初めての娘に家族みんなが笑顔に

長男、次男に続いて生まれた娘。

実は一番喜んでいたのは、えかきのお父様だったかもしれません。

初めての女の子に目を細め、とても嬉しそうでした。

やはり息子とはまた違う可愛さがあったのでしょう。

今振り返ると、少し甘かったようにも思います。

娘には娘の特別な存在感があるのだと感じます。

 

 


三人の子どもを連れて京都へ

アルゼンチンでの滞在は約3か月。

ミルタの首が座る頃、私は三人の子どもを連れて日本へ戻りました。

京都では、仕事をしている主人が待っています。

当時は家族5人に加え、えかきのお母様との同居生活。

毎日が慌ただしく、決して楽な生活ではありませんでした。

それでも子どもたちに囲まれた毎日は、本当に幸せでした。

 

 


保母さんになりたかった私

子育てをしている頃、

「保母さんになる夢を諦めず、卒業していたらどうなっていただろう」

そんなことを考える時もあります。

けれど今は、職場で娘や息子たちと同じくらいの年齢の若い人たちに囲まれながら働いています。

毎日元気をもらい、楽しく過ごしています。

人生は不思議なものですね。

違う道を歩いていても、結局私は子どもたちや若い世代と関わることが好きなのだと思います。

 

 


娘へ

健康と幸せに乾杯。

そして、ミルタ。

生まれてきてくれてありがとう。

あなたがいてくれたからこそ、私たち家族はたくさんの喜びを知ることができました。

これからも元気で、自分らしく歩いていってください。

母より、たくさんの愛を込めて。

マリアイネス拝

 

 

 

 

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投稿者

  • mary

    アルゼンチン生まれ育ちの日系二世の小川(松ノ下)マリアイネスです。
    19歳でえかきの小川憲一豊実(おがわけんいちほうじつ)と結婚して来年には金婚式を迎えます。お勤めの方たちの妻とは違いまして金銭的には色々あった人生です。しあわせだったか、しあわせでなかったかはあの世へ行く瞬間にしか分からないと母親がいってました。
    価値観は個々違いますが、自分ではしあわせだと思っております。
    喧嘩を一回もしたことのないご夫婦も存在しますが、私たちは毎日のように京都育ちのえかきとは意見は合わずその違いで議論になることは多々あります。
    このような絵描きの妻ですが、どうぞよろしくお願いします

    “The Painter’s Wife”

    小川(松ノ下)マリアイネス拝

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