20歳の誕生日に母からもらった言葉|1931年生まれの母が残してくれたもの

母があの世へ旅立って、今年で18年になります。
人は亡くなっても、ふとした瞬間に思い出すものです。
私は今でも、20歳の誕生日に母から贈られたアルバムと、
1931年生まれの母、松ノ下麗子。
苦労の多い人生だったと思いますが、いつも家族を気にかけ、
今日はそんな母の、ちょこっとストーリーです。

ミシンの前で涙を流していた母
子どもの頃、
遠い故郷を離れた寂しさだったのか。
事故で亡くした長男を思い出していたのか。
幼かった私には分かりませんでした。
ただ、その時の母の姿だけは今でも忘れられません。
貧しかったけれど暗くなかった我が家
我が家は決して裕福ではありませんでした。
街へ出るバス代がなく、
それでも食卓はいつも明るく、
貧しかった記憶はあっても、不幸だった記憶はありません。

日本へ帰った初孫との思い出
1955年に神戸港から船でアルゼンチンへ渡った両親。
その後、28年ぶりに日本へ里帰りしました。
当時、私たちは京都に住んでいました。
久しぶりに帰国した両親は、日本の大きな変化に驚いていました。
そして当時の教育方針に疑問を感じていたこともあり、
父は毎日25kmほど離れた学校まで送り迎えをしてくれたそうで
母から届く手紙
父は几帳面な人でした。
だから手紙を書くにも下書きが必要で、
その反対に母は思ったことをそのまま書く人でした。
字を間違えたらその場で二重線。
でも、その分気持ちは真っすぐ伝わってきました。
誕生日には必ずメッセージを送ってくれました。
20歳の誕生日にもらったアルバムには、
何時までも素直な心でいてほしい。
自然の流れにさからわず、人間らしく。
親の願いを忘れずに。
今からの結婚生活を有意義に送れるように。
今読み返しても、母らしい言葉だと思います。

最後に母が教えてくれたこと
母は乳がんを患い、その後肺と骨へ転移しました。
さまざまな治療を受けましたが、病気は治りませんでした。
ある日、母は私にこう聞きました。
「マリア、ママはどの服を着たらいいと思う?」
「どこへ行くの?」
そう聞くと、
「お葬式だよ」
と静かに答えました。
死を受け入れながらも、最後まで家族のことを思っていた母。
苦しい時間もありましたが、最後は眠るように旅立ちました。
私は最期までそばにいることができました。
だからこそ、母の死は受け入れることができました。
母が亡くなって18年。
今でも時々、20歳の誕生日にもらったあの言葉を思い出します。
親が子どもに残せるものは、お金でも物でもなく、
母が残してくれた言葉を胸に、私も今日を生きています。
「まばたきする間のように過ぎる時間と、子どもたちの人生」
1981年8月29日、京都で生まれた次男
ブエノスアイレスのクリスマスパ-ティ-で出会った京都のえかき








