愛は、完成しないまま続いていくもの

愛という言葉は、とても短いのに、説明しようとすると途端に難しくなります。

 

それはきっと、愛が「形」ではなく「時間の中にあるもの」だからかもしれません。

 

若いころの愛は、どこか答えを急ぎます。

 

好きか嫌いか、続くか終わるか、正しいか間違いか。

 

でも長く生きていると、愛はそういう二択では測れないことに気づきます。

 

たとえば、朝の何気ない会話。

 

たとえば、黙って出してくれたお茶。

 

たとえば、少し疲れた背中を見送る時間。

 

それらは劇的ではないけれど、確かにそこにあるものです。

 

そして気づかないうちに、それが「暮らし」になっていきます。

 

愛は、特別な瞬間よりも、むしろ何も起こらない日々の中で育ちます。

 

喜びだけでなく、すれ違いや沈黙も含めて、それでも隣にいることを選び続けること。

 

その積み重ねが、いつの間にか「一緒にいる理由」になっていくのです。

 

完璧な人を求めると、愛はどこかで止まってしまいます。

 

けれど、不完全なまま受け入れることができたとき、愛は静かに続いていきます。

 

愛とは、完成させるものではなく、更新し続けるものなのかもしれません。

 

昨日とは違う今日の相手を、もう一度見つめ直すこと。

 

そして自分自身もまた、変わっていることを認めること。

 

そう考えると、愛はとてもやさしいものです。

 

同時に、とても根気のいるものでもあります。

 

それでも人は、誰かと生きることを選びます。

 

それはきっと、「幸せだから」だけではなく、

 

「そうしたいと思える何か」が確かにあるからです。

 

愛は、答えではなく、問いのまま続いていくもの。

 

そしてその問いを手放さない限り、関係は静かに生き続けていきます。

 

 

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投稿者

  • mary

    アルゼンチン生まれ育ちの日系二世の小川(松ノ下)マリアイネスです。

    19歳で、えかきの小川憲一豊実(おがわけんいちほうじつ)と結婚し、今年、金婚式を迎えました。

    会社勤めの方のご家庭とは違い、金銭的にはいろいろあった人生です。

    しあわせだったか、しあわせでなかったかは、あの世へ行く瞬間にしか分からない――と、母が言っていました。

    人それぞれ価値観は違いますが、私は自分ではしあわせだったと思っています。

    喧嘩を一度もしたことのないご夫婦もいらっしゃるでしょうが、私たちは毎日のように、京都育ちのえかきとは意見が合わず、その違いから議論になることも多々あります。

    そんな絵描きの妻ですが、どうぞよろしくお願いいたします。

    “The Painter’s Wife”

    小川(松ノ下)マリアイネス 拝

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