アルゼンチンと日本で30万kmを走った私の運転人生

私は人生の半分以上、車を運転して生きてきました。
アルゼンチンでも日本でもハンドルを握り、
若い頃は、
古い車、家族との移動、引っ越し、仕事。
車はいつも生活のすぐそばにありました。
アルゼンチンで初めて運転した頃
若い頃、アルゼンチンで初めて車を運転しました。
運転を覚えたのは自動車学校ではなく、
ある日、義理の弟が運転未経験のえかきのつまを
道路に連れ出し、スピ-ドを上げろ、もっと上げろという。
センタ-ラインの感覚は取れず、スピ-ドはもちろん
日本では信じられない、100 はオ-バ-していた
今のように便利な車ではなく、古くて癖のある車ばかりでしたが、
広い道、強い日差し、遠くまで続く景色。
日本とはまるで違う空気の中で、

車はただの乗り物ではなく、その時代の人生そのものなのだと思います

私たち家族の時間が詰まっている
日本での運転と子育て
日本へ来てからも、運転する生活は続きました。
子どもたちを乗せて買い物へ行ったり、送り迎えをしたり、
気がつけば、車はいつも家族の生活の真ん中にありました。
アルゼンチンとは違う日本は右ハンドル、少し初めは戸惑いました。
アルゼンチンの広い道とは違い、
気がつけば30万km以上
正確な距離は分かりませんが、アルゼンチンと日本を合わせると、
若い頃には想像もしませんでした。
楽しい時だけではなく、大変な時も、車はいつも一緒でした。
振り返ると、運転していたというより、
最後まで手放せなかったタウンエース
最後までなかなか手放せなかったのが、タウンエースでした。
古い車なので修理も増え、
それでも簡単には決められませんでした。
この車には、家族との時間や、仕事の思い出、

描くことも、乗り続けることも同じなのかもしれません
車は人生そのもの
車はただの乗り物だと思っていました。
でも長い年月を過ごしているうちに、
古い車を見ると、その頃の景色や気持ちまで思い出します。
30万km以上走ってきた今、そう感じています。
夫は昔から、紙だけではなく、何にでも描く人でした。
古い物にも思い出を重ねてしまう人だからかもしれません。
だからタウンエースも、簡単には手放せなかったのでしょう。
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