親指を失っても絵を描き続けた夫。「人生に不可能はない」と教えられた日

人生には、
夫も四十年以上前、
当時は絶望するような日々が続きましたが、
今では、その出来事さえ笑い話にできるほどです。
今回は、

一瞬の油断で起きた事故
四十年以上前、夫はアルゼンチンの田舎で家を建てていました。
山で木を切り、自分で製材し、
私は銀行で働いていました。
ある日、職場に友人が飛び込んできました。
「旦那さんが電気カンナで指を切った!」
頭が真っ白になりました。
夫は、のどが渇いたので一服しようと思った、そのほんの一瞬。
きれいな女性が通り、つい目を向けたそうです。
その油断が事故につながりました。
今では夫婦で笑って話しますが、
手術は思わぬ結果に
いつものホームドクターは学会でブラジルへ行っておられました。
初めて別の医師に診てもらいましたが、
後になって、
傷は化膿し、親指は何倍にも腫れ上がりました。
初めて包帯を外した時の夫の指を見た私は、
気分が悪くなり、
しかし、一番つらかったのは本人でした。
毎日クリニックへ通い、膿を取り除く治療が続きました。

ブエノスアイレスでの決断
症状は良くならず、
夫は一人で長距離バスに乗り、
そこで日系二世の医師とのご縁ができました。
診察の結果は厳しいものでした。
「このままでは感染が腕まで広がる可能性があります。」
命を守るため、親指を切断することになったのです。

日本にいた母の願い
日本では義母が毎日、
京都の釘抜地蔵として親しまれているお寺へ、
その思いは今でも忘れられません。
その後、日本で義指を作ることも考えましたが、
親指がなくなって気付いたこと
親指がある時には考えもしなかった不便さがあります。
ボタンを留めること。
ハサミを使うこと。
細かな作業をすること。
それでも夫は工夫しながら生活してきました。
右利きですが、人差し指と中指を上手に使い、
不思議なことに、
政治には文句を言いますが(笑)。

子どもたちの反応
夫は両手の親指を合わせ、
「パクッ!」
と食べる真似をして子どもたちを驚かせる遊びをよくしていました
子どもたちは目を丸くして、
「梅干しみたい!」
と言いながら笑って触っていました。
私は時々、
「そんな遊びばかりしていたから、
と冗談を言います。
大人は遠慮して事故の話を避けがちですが、
子どもの素直さには、いつも救われます。

サラリ-マン時代の社員旅行
今になって気付いたこと
最近になって気付きました。
次男と長女は、親指がある父親を知りません。
生まれた時から、親指のない父親が当たり前だったのです。
事故は人生を大きく変えました。
それでも夫は絵を描き続け、笑い、家族と暮らし、
だから私は思います。
人生には、不可能はない。
失ったものを数えるより、今できることを大切にする。
夫は四十年以上、その姿を私たち家族に見せ続けてくれています。


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