井戸の話|落ちたら終わりだと思っていた子どもの頃

アルゼンチンで暮らしていた頃、
家のすぐそばに井戸がありました。
今思えば、囲いも何もない、
そのままぽっかりと口を開けた井戸でした。
子どもだった私は、
その井戸が怖くてたまりませんでした。
落ちたらどうなるのだろう。
きっと、底まで落ちてしまうのだろうと。
そんなことを、いつも考えていました。

暑いミシオネス州の夏。
洗濯場で昼寝をする弟
懐かしい
けれど、不思議なことに、
毎日の暮らしの中では、
それが特別なことではありませんでした。
そこに井戸があるのが、
当たり前だったのです。
大人たちも、
特別に注意するわけでもなく、
いつものように生活していました。
だから私も、
怖いと思いながらも、
そのそばで過ごしていました。

今思えば、
守られすぎていない暮らしの中で、
自然と身についていた感覚があったのかもしれません。
今になって思うのです。
あの井戸は、
ただの井戸ではなかったのかもしれないと。
危なさと隣り合わせの暮らし。
守られすぎていない日常。
けれどその中で、
自分で感じ、考え、気をつけながら生きていたこと。
それが、いつの間にか、
自分の中に残っているような気がします。
怖かった記憶も、
今ではどこか懐かしく思えるのです。

生きていく為、いろいろした両親、苦労の連続でしたが、しあわせだったかしら?と思うこの頃です。
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