最初は韓国の方だと思った添乗員さん。40年近く続く大切な友情

人生には、 ほんの数分の出会いが何十年ものご縁になることがあります。
京都に住んでいた頃、アルゼンチンから妹が約一年、
ある日、妹一人で日本海方面への団体旅行に参加することになり、
添乗員さんが腕章を付けて近づいて来られます。
妹と私は小声で、
「韓国の方かしら?」
そんな話をしていました。
ところが後で分かったのは、広島出身の純粋な日本人。
これが約40年続く友情の始まりになるとは、

私は添乗員さんにお願いしました。
「妹は日本語があまり分かりません。よろしくお願いします。」
すると返ってきた言葉は意外でした。
「お姉さんも一緒に行かれませんか?」
もちろん行けません。
家には主人と姑、小さな子どもたちが待っています。
安心して妹をお願いするしかありませんでした。
旅行の前、私は妹エミに
「日本の温泉は混浴もあるから気を付けてね。」
と話しました。
ところが、それを真に受けた妹は怖くなってしまい、
温泉好きの私としては、
さらに後から聞いた話では、
添乗員さんは妹の代わりに何度も頭を下げてくださったとか。
今でも申し訳なく、そして感謝しています。
旅行が終わり、写真を送ったことがきっかけで、
私は思わず、
「今から遊びに来られませんか?」
と誘ってしまいました。
電話の向こうではかなり戸惑っておられました。
「ご主人も、お母様もいらっしゃるのでしょう?」
京都では少し考えられない誘い方だったのでしょう。
でも私はアルゼンチン育ち。
家族や友人が集まることは、ごく自然なことでした。
文化の違いに驚かれながらも、
それ以来、家族ぐるみのお付き合いが始まりました。
子どもたちと本当によく遊んでくださり、
姑と私は麻雀まで教えていただきました。
娘を膝に乗せながら打っていると、
「そんな教育をして。」
と笑われそうですが、それも今では懐かしい思い出です。
妹は日本語があまり分かりませんでした。
26歳のお誕生日には、
当時の写真を見ると、みんな大笑いしています。
何がそんなに面白かったのかは思い出せません。
でも、若くて、子どもたちも小さくて、
その後、
その前に一緒にアルゼンチンへ行き、
飛行機の中で娘のおむつを替える私を見て困った顔をしていたこと
イグアスの滝を見に行ったこと。
食あたりをして苦しんだこと。
アルゼンチンを車で旅したこと。
今ではどれも笑って話せる思い出ばかりです。
長い付き合いになると、思い出は数えきれません。
会う回数は少なくなりましたが、電話では時々近況を話します。
ある友人が言いました。
「会いたいと思った時に会っておかないと後悔するよ。」
その言葉が年々心に沁みます。
彼のお母様に
「うなぎ丼でも食べて帰りんさい。」
と言われた時、
一緒に食卓を囲んで、もっとお話を聞けばよかった。
そんな後悔は誰にでもあるのかもしれません。
人とのご縁は不思議です。
団体旅行の添乗員さんと旅行者。
本来なら、それだけで終わる関係だったはずです。
それが40年近く続く友情になりました。
「遠く離れていても心は近くにある」
中国のことわざにある**『天涯比隣(てんがいひりん)』**
友人は本当に人生の宝物ですね。


人生を振り返ると、 財産は物ではなく人とのご縁なのかもしれません。
40年続く友情も、人生の幸せの一つです。
人との出会いは人生を大きく変えてくれます。
私は「幸せとは何だろう」
よろしければ、












