イグアスの話|言葉を失ったあの場所で

アルゼンチンで育った私にとって、
イグアスの滝は、特別な場所のひとつです。

初めて見たとき、
ただ立ち尽くしてしまいました。

水の音が、あまりにも大きくて、
景色が、あまりにも広くて、
何も言えなくなったのです。

 

水の音も、景色の広さも、
すべてが大きすぎて

人はこんなにも小さいのかと、
そんなことを思いました。

それまで見てきた景色とは、
まったく違うものでした。

けれど、不思議と怖さはなく、
ただ圧倒されていました。

あのとき感じたものを、
うまく言葉にすることはできません。

けれど今でも、
あの場所の空気だけは、
はっきりと思い出すことができます。

 

今でも静かに残っています。

あの日のことは、
以前にも少し書いたことがあります。

けれど、写真に残っていたのは景色だけではなく、
あのとき言葉にできなかった気持ちだったのかもしれません。

ただ綺麗だった、ではなく、
ただ大きかった、でもなく、
自分が世界の前で立ち尽くしていた感覚だけが、
今でも静かに残っています。

振り返ると、
アルゼンチンで過ごした日々には、
いくつもの忘れられない記憶があります。

人との距離、
警察のこと、
井戸のそばで過ごした日々。

そのひとつひとつが、
今の私の中に残っています。

イグアスの滝を前にして感じた、
言葉にならない感覚もまた、
そのひとつです。

あの場所で立ち尽くした自分が、
今の私のどこかに、
静かに繋がっているような気がします。

 

あの場所の空気だけは、
はっきりと思い出すことができます。

 


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👉 この話も、アルゼンチンで育った私の一部です

投稿者

  • mary

    アルゼンチン生まれ育ちの日系二世の小川(松ノ下)マリアイネスです。

    19歳で、えかきの小川憲一豊実(おがわけんいちほうじつ)と結婚し、今年、金婚式を迎えました。

    会社勤めの方のご家庭とは違い、金銭的にはいろいろあった人生です。

    しあわせだったか、しあわせでなかったかは、あの世へ行く瞬間にしか分からない――と、母が言っていました。

    人それぞれ価値観は違いますが、私は自分ではしあわせだったと思っています。

    喧嘩を一度もしたことのないご夫婦もいらっしゃるでしょうが、私たちは毎日のように、京都育ちのえかきとは意見が合わず、その違いから議論になることも多々あります。

    そんな絵描きの妻ですが、どうぞよろしくお願いいたします。

    “The Painter’s Wife”

    小川(松ノ下)マリアイネス 拝

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